戻る

ボート遭難の碑 清掃活動

平成15年1月18日 (土)

 1月23日はボート遭難の日。鎌倉会では1月18日 (土) に、稲村ヶ崎に建てられているボート遭難の碑に集まり、碑と、周辺の公園、海岸を清掃した。清掃活動は午前10時30分から正午まで。この日集まった会員の年代は30代から7〇代まで幅広く、各自配られたごみ袋を手に清掃ボランティア活動を行った。
 逗子開成学園の横山教頭先生が花束をボート遭難碑にたむけられ、一同は100年近い前の悲劇にそれぞれ思いをはせているようだった。
 一同は清掃活動終了後、遭難碑がある稲村ヶ崎公園前のレストラン、メインで昼食をなごやかに摂り解散した。
参 加 者
氏 名 卒業期
守谷雅司 会長 高13
吉野 功 副会長 高 4
滝川和人 副会長 高18
沼崎正昭 副会長 高29
木下皓司良 幹事 高 5
角田 勝 幹事 高 7
入野啓一 幹事 高 8
宮崎順一 事務局長 高22
吉野 斉 高33
福島昭一郎 高40

参加者で記念写真

横山教頭の献花横山教頭の献花

沼崎、吉野、福島が拭き掃除だいぶきれいになったかな

碑と花束藤井鎌治郎木下皓司良角田 勝


ボート遭難豆知識

ボート遭難の碑 明治43年1月23日、小学生一人を含む12人で逗子開成中学校の生徒が、海軍から払い下げられたボート「箱根号」を葉山の艇庫から許可なく運び出し、江の島方面に出船し遭難した。これを「七里ヶ浜ボート遭難事故」という。
 2月5日に逗子の妙光寺で追弔会が行われ、翌6日に校庭で大法会が行われた。各界の名士のほか開成中学校の全生徒と鎌倉女学校の全生徒が列席。このとき、兄妹校である鎌倉女学校生徒が三角錫子先生の弾くオルガンで涙ながらに合唱したのが、有名な「真白き富士の嶺」である。
 稲村ヶ崎のボート遭難の碑は、遭難した徳田兄弟をモデルに、昭和39年に建てられた。

戻る